vol.6 多田恋一朗「ラクガキ、また誰かと出会うために」
2024年8月17日 – 巡回中
多田恋一朗は、漫画のようなテイストの人物像を、油絵やペンによるドローイングなど多様な形態で展開するアーティストです。二面あるアート・トラックを使った本展は、油彩画を中心にした面と、標語ポスターを模したプリント作品で埋められた面の二面で構成されています。
ポスターを模した作品は、多田が交友を持つアーティスト布施琳太郎との共作です。標語ポスターの形式を借りて、絵と文章が組み合わされています。「海を守ろう」といった一般的な標語らしい標語の中に、「僕は僕で君は君」「どうせハダカで生きられないのなら」というような詩情を醸す文章が現れているのは、詩作も行う布施との協働制作であることが影響していると考えられます。二人で泊まり込んで一気呵成に描き上げたという本作品群は、一枚一枚、ラクガキを楽しんでいた頃の自由帳を思い起こすような闊達な構成で成り立っています。
もう一面に展開されている多田の絵画作品では、漫画的な顔の表現がなされた人物像や、漫画的な目を切り取ったようなモチーフが展開されています。これらモチーフの“漫画っぽさ”からもまた、多田がラクガキ的な感性を保持して絵画制作していることが見て取れます。絵を描きたいと思う衝動の原初が、好きなキャラクターを描いてみたい、という欲望であったという覚えは多くの人が持つものでしょう。現代のメディア環境が生じさせる、現代的なラクガキへの欲求と言えるかもしれません。
もちろん、多田の作品には漫画とはまったく異なる部分も見られます。漫画にはセリフや背景のない、人物のみが描かれたコマもよく見られますが、その意味では、一見多田が描く絵画も四角い枠の中に人物のみが配置されており、漫画の一コマのようです。しかし漫画のような連続する物語、またそれによって表現されるキャラクターの内面性のようなものは読み取れません。空間表現は行われず、人物の視線もどこか虚空を見つめるようで、像だけが浮遊しているようです。漫画的表現が取り入れられながら、多田が描く人物像は、いわゆる「キャラクター」の要件を満たしていないのかもしれません。
多田は自身が描く人物像を「君」と呼び、脳内に去来する抽象的で曖昧なイメージ(「特定のモデルがいるわけでもない匿名の存在」)を、描くという行為でこの世に具象化したものだと言います[1]。外部(物語)も内部(内面性)もない流動的なイメージが、偶発性を含むその時々の描画行為によって人の形を取ったのが、多田の描く人物像なのです。描かれるものが定まっていないまま描き始められることで、いわゆる「キャラクター」の絵とは異なる、特別な印象を与える人物像が生まれています。
一見見慣れたような漫画的表現が表層にありながら、内実には混沌としたものが渦巻いている、現代絵画表現の複雑な面白みを、ぜひお楽しみください。
[1] 本人執筆によるウェブ公開のテキストを参照。
多田恋一朗「あなたが君に変わるまで」(https://note.com/koichannokokoro/n/n31c9bb58805f)。
文・上久保直紀
多田恋一朗 TADA Koiichiro
1992 | 東京都生まれ |
2016 | 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻 卒業 |
2018 | 東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(技法材料研究室) 修了 |
主な個展 | |
2020 | 「『ハロー』ハロー」TAKU SOMETANI GALLERY(東京) |
2019 | 「堂々巡りの夜のワルツ」バンビナートギャラリー(東京) |
主なグループ展 | |
2019 | 「生きられた庭」京都府立植物園(京都) |
2019 | 「NEW EMOTION」六本木ヒルズ A/Dギャラリー(東京) |